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2015年07月03日

高幡・百草

生き仏になった尼さんの話

記者名:山田

イベント種別:地域・環境対象者:指定なし

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明治六年まで中程久保に正福寺という小寺がありました。
元禄のころ開山されながら檀家も少なく、住職の多くは医王寺やよそ寺の兼帯で、普段は堂守がわずかに法灯を守る有様でした。
この寺の最後の住職、5人目の住職善了法印には妙智法尼という娘があり、法尼は父の死後その跡を継いで、この寺の最後の堂守をつとめ、年を経ました。
この妙智法尼は自らの要望で生き埋めとなり、お鈴を打ちながら昇天したと言います。

幕末の頃の話
妙智法尼はこの寺にひっそりと暮らしでいましたが、病気がちでもあり、自分の身の定めを悟り、ある日檀家の世話人たちに申しました。
「私もあと長くは生きられない体で、寺の守りも思うに任せません。こうしてご近所の方々に迷惑をかけては、仏の道にも背きます。私をこのままここに葬っては下さらぬか。お経お念仏を唱えながら、静かにお迎えを待ちたいと思います」
世話人達は「そんな悲しい、心細い事は言わないでくだされ。これからも女衆たちには毎日見舞わせてできるだけお世話をさせてもらいます。どうか気丈夫に生き抜いてくだされ」と申しましたが、法尼は首を横に振るばかり。人々はいくら宥めても聞き入れない事を知りました。やむなく鉦(かね)と水を満たした徳利、息抜き用の太いもうそう竹などを用意して、法尼に別れを告げたそうです。
二十一日目に、鉦の音も途絶えてしまい、「きっと極楽往生なされたに違いない」と人々はそう囁きあったということです。

このお墓かどうか分かりませんが、現在、正福寺のあった土地に小さなお墓が4つあります。
私はその墓を見に行こうと考え、現地に向かいましたが、相当きつい坂道に身動きができず、やっとのことで、目的地付近まで行きました。しかし、その先は私有地でした。
ここまで来てあきらめました。
しかし、日野市郷土資料館の方に、以前からお話をしていて、資料館の方に写真を撮影していただいていました。このお墓の場所やもろもろのことなども、資料館の方にお伺いしたものです。
そして、このお墓の供養というのでしょうか、程久保観音講があり、毎年4月17日には十一面観世音菩薩を祀るということです。

※お墓は私有地のようですので、勝手に入ることは避けましょう。
 誰だって勝手に他人の家に入ってこられたら怒りますよね。
 なので、許可が必要だと思っています。

記者名:山田

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